「今日は良い天気だな」

幸村くんが笑いかける相手は私ではなく、花壇に咲いたきれいな花たちだ。色とりどりのチューリップは幸村くんが手入れを行っているもので、それはそれは美しく、よく育っている。

「お前はきれいだね」

咲き誇る花一輪一輪を撫でるように触れて回る幸村くんを眺めていると、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。それはまるで恋人のようで、じぶんの彼女を目一杯精一杯心の限り愛でる幸村くんの姿にどきどきしてしまうからだ。
植物に声をかけるとよく育つ、という話を幸村くんから聞いたことがあったけれど、それが紛れもない事実だということはこのチューリップたちを一目見ればわかった。注いだ愛情のぶんだけ、言葉が悪いかもしれないけれど『見返り』をくれる。それを幸村くんが望んでいるとは思えなかったけれど、でもこうして美しく育った姿を見ることができるのは幸村くんにとっては嬉しいことであるには違いないはずだ。

「よく育ってるだろう?」

ふいに幸村くんの視線が私を向き、にこりと笑みを零した。大きな目を細めた幸村くんはとても誇らしげで、昔から変わらないなぁと思う。小学生のときからそうだった。土の付いた軍手で額の汗を拭って、泥だらけの顔になりながら庭いじりをしてたっけ。テニスをしているときはすごく真剣でかっこよくてときどき怖いとすら感じるのに、花に触れているときは可愛く無邪気に笑うのだ。子供ながら、男の子は不思議だなと思っていた。

「そうだね」

きれいな赤色をしたチューリップを眺めながら相槌を打つと「で?」少しの間を置いてから幸村くんが小さく首を傾げた。腕組みをした幸村くんはさっきまで花たちに向けていた笑顔とは少し種類の違う笑みを浮かべて私を見下ろしている。花たちに対する褒め言葉が足りなかったのだろうかと考えてみたけれどどうやらそうではなさそうだ。にやにや、という擬音が一番似合いそうな幸村くんの笑顔は決してこの美しい花たちに向けられるようなものではなく、ただただ私にだけ注がれていた。

「・・・で、って?」
「何か悩みでもあるんだろう?」
「・・・別に、そういうわけじゃ」
「柳と何かあったかな」
「な・・・!」
「ふふ、図星だ」

白い歯を覗かせた口元に手をやりながら幸村くんが面白そうに笑う。こんな風に笑われるようなことを言ったつもりはないのに。何も口にしていないのに私が何をしに幸村くんの花壇の手入れを眺めにきたのかをいとも簡単に言い当ててしまう幸村くんは私の心のなかが見えるのだろうか。五感どころか思考すら幸村くんの手のひらの上となると幸村くんを出し抜くことは不可能に等しい。






柳といると、ドキドキする。とても、とても。
それこそ、息が詰まって胸が苦しくなるくらいに、緊張して何も考えられなくなって、喋れなくなる。
柳はそんな私でも好きだ、って言う。可愛い、とかも言う。
簡単に言うの。自分の血液型でも言うみたいに。
当たり前のように言うの。数学の解答でも答えるみたいに。
だから余計に恥ずかしくなる。頭のなかが真っ白になって、『あ、そう』とか『うん』とか、そんな返事しかできない。
『ありがとう』くらい言わなきゃって思っても、いざ言葉にしようとするとできなくて、どうしよう、言わなきゃ、って考えてるうちに柳はフッ・・・とかなんかいつもみたいに笑って、それで何事もなかったみたいに今日の出来事、例えば仁王くんが珍しく体育の授業に出席してたとか切原くんが英語の小テストでまた0点だったとか、でもそれは実は自分の名前のローマ字をミスしてたせいだったとか、そういう、全然関係ない話を始めるからいつも私は何も答えられないままで。






「・・・何それ、ただの惚気?」

小さく鼻で笑った幸村くんだったけど、口角は上がっているのに目は笑っているようにはみえないから変な汗をかいてしまった。口にしただけで恥ずかしかったのに、ただののろけだなんて突っ込まれてしまうと身体じゅうの熱が一気に顔に集まってくる。穴があったら入りたい。のろけているつもりもふざけているつもりもなかった。確かに要点のまとまらないまま話をしてしまったし、結局のところ何が言いたかったのか自分でもよくわかっていないのだけれど、幸村くんの言うとおり『何か悩み』があるのだとすると、今言ったことなのだ。
私と柳が、いわゆる彼氏彼女と呼ばれる関係になってからしばらく経つけれど、私の方から柳に好きだのなんだのという言葉を口にしたことはなかった。一度だって。
返答できずに口を噤んでいる私を見てまた何か悟ったのだろう、幸村くんは見透かしたような笑いを零すと一番近くでそよ風に揺れる白いチューリップの茎をそっとつついた。

「・・・好きだよ。俺は、お前が」
「え」
「こんなにも大きく育って、きれいに咲いてくれて」
「・・・・・・」
「俺はね。ただ、それだけで嬉しいんだ」

うっとりと白いチューリップを見つめる幸村くんの表情、どこかで見たことがある。それは考えてみるまでもなく柳の表情に重なった。あの、いつも私のことを好きだと言うときの表情。自己満足でも、何か見返りを求めるわけでもない。ただ感じたことを言葉にしているだけ、の。

幸村くんに触れられた白いチューリップの葉がゆらりと揺れた。幸村くんの言葉に頷くように。











「どうした?
「・・・・・・、あ、ううん。なんでもない」
「具合でも悪いのか?」

突然柳に肩を引き寄せられたかと思うと、すぐ目の前で郵便ポストがこちらを睨んでいた。危うく衝突しそうになっていたらしい。郵便ポストが赤色をしているのは誰の目にも入りやすい色だから、という理由だったはずだけど、どうやら悩める女の子の前ではあまり意味をなさないことを身を以て理解する羽目になってしまった。柳の大きな手に掴まれた肩にちらりと視線を落としながら、今自分が二つの意味でドキドキしてしまっていることに気が付いた。
ひとつは、あとちょっとのところでポストに体当たりしてしまうところだったこと。もうひとつは―――

「いや、違うな。何か悩み事でもある確率87%というところか」

フ、と短く呼吸をするように笑った柳の体温が未だに私の右肩に注がれているせいだ。
何を根拠にその確率を算出しているのか私にはちっともわからないけれど、きっと彼なりの公式がその頭の中にたくさん詰まっているのだろう。それを私は知らないし、知ったとしても理解することは到底できないと思う。
それにしても幸村くんといい柳といい、私はそんなに悩みを抱えているような顔に見えるのか心配になってしまうくらい二人とも簡単に言い当てるので変に動揺してしまう。幸村くんとはまだ小さかった頃からの仲で、柳は立海テニス部のデータマンで参謀で歩く辞書で、加えて私の、・・・彼氏、なんだから当然と言えば当然なんだけど。

「・・・えー、っと」
「本当にわかりやすいな、は。少しは否定してみたらどうだ?」
「だって・・・」
「だって?」
「う・・・ううん、なんでもない」
「続けようとしていた言葉は、『本当のことだもん』、か?」
「・・・・・・」
「フッ・・・お前のそういう、嘘を吐けないところも俺は好きだよ」

ほら、また、そうやって。
なんでそう、不意打ちみたいに、後ろから忍び寄って突然冷たい缶ジュースほっぺに当てるみたいに、興奮して周りの状況が見えなくなってるときにラケットで何気なく膝かっくんするみたいに。
まるで呼吸をするように柳は気持ちを的確な言葉に変換して声に出すから、だから私はいつもいつも、ほら、今みたいに、こんな風に、言葉にならない気持ちを声に出そうと失敗してただぽかんと開けたくちびるをぱかぱかと不甲斐なく上下に動かすことしかできなくなってしまう。何て答えたらいいかなんてわからない。どんな反応をすれば正解なのかわからない。穏やかな表情をした柳は惜しげもなく私にその視線を注いでいるだけだから。

「ああ、そういえば今日の昼休み」

・・・そしてやっぱり気の利いた返事をできないまま次の話題に移ってしまうのだ。

「精市と二人、花壇で話をしていたな」
「あ、うん。チューリップがすごくきれいに咲いてたよ」
「そうか。さすがは精市、あいつの手に掛かればどんな花だって美しく咲くだろうな」
「うん」
「ところで、何を話していたんだ?」
「え?」
「・・・・・・と尋ねるのは些か不躾だったか。すまない」
「・・・え、っと・・・・・・」
「いや、いいんだ。ただ、お前がずいぶん真っ赤な顔をして必死になって何かを精市に訴えていたのが気になってな」

まさか柳に見られていただなんてちっとも思ってなかった。『真っ赤な顔をして必死になって』、柳への気持ちを幸村くんに話していたところを柳本人に見られていたなんて恥ずかしいというレベルじゃない。何を話していたのかなんて答えられるわけもなく、柳を見上げているだけでお昼休みのことを思い出して顔が熱くなってしまう。息が詰まる。胸が苦しい。呼吸をするのもつらい。

「・・・そんな顔をされるとどんな会話をしていたのか余計に気になるぞ」
「あ、っいや、それは、・・・その、大したことじゃ、なくて」
「俺には言えない話、か?フッ・・・妬けるな」

だから、どうしてそんなふうに。
妬けるな、という言葉とは裏腹に柳はどこか楽しそうな表情をしている。私のことなど全部お見通しだとでも言うように、あの話もこの気持ちも、全部わかっているような口ぶりで、だから私はいつも、こんなにも、ドキドキしてしまうのだ。落ち着く余裕なんてない。深呼吸してみたってこの現状はちっとも色を変えないのだ。私の顔が熱いのも、私が何も答えられないのも、こんなにも必死になっているのも、全部ぜんぶ柳のせいなのに。

言葉に変換できない気持ちは、柳の細い目の奥に吸い込まれて消えた。精一杯のしかめっ面で、力いっぱい睨んでいるはずなのに、そんな私を見下ろす柳の表情はまるで白いチューリップを愛でる幸村くんのようで、だから私は見惚れずにはいられないのだ。呼吸を、止めながら。