攻めた方が勝ち、という言葉があるように、つまりは、受け身になった方が負けなのだ。 柳が黙ってさえいてくれたら、私は自分の気持ちを形にして言うことが出来るかもしれないのに、そういうときに限って柳は私に向けて恥ずかしげもなく恥かしい言葉をポンポンと言ってくる。 彼氏彼女になる以前は、言ったとしても私のテストの点数が悪すぎるだとか、今日は寝不足に見えるから気をつけろだとか、お母さんのようなことばかり言っていたのだ。 それなのに、付き合いだした途端に。 柳のことは好きだ、とても、すごく、たくさん。 ああして恥ずかしげもなく恥かしい言葉をポンポンと言っている柳は、私のことなど全部お見通しだとでも言うような柳は、きっとそのことも知っているのだろうけれど。 でも、それよりも絶対に大きい自信がある。柳が思っているより、柳が持っているデータより、ずっとずっと、私は柳のことが好きだ。その『好き』が膨れ上がって、胸やのどを詰まらせて、頭をパンクさせて、私の中は柳でいっぱいになって、どうしたら良いのか分からなくなる。 優しい髪だとか、柔らかな視線だとか。 テニスをしているときの、私の肩に触れるときの、堅実さだとか。 私は柳が好きだ。 ベッドの上で、本を開く。柳のマネをして、柳のことを少しでも知りたくて図書室で借りる本。すぐに眠たくなるから、簡単なものから。 児童書なんて借りる私をバカにするのは簡単だろうに、以前に一度借りているところを柳に見つかったとき、柳は小さく、けれど微かに嬉しそうに笑って、「えらいな」と言った。 「俺のためか?」とも。 そのとき私はなんと返したのだっけ?別に、だとか、そういうわけじゃない、だとか、たぶんそんなことを言った。 柳が悪い、柳が悪い。 柳はいつも、私に言わせてはくれない。あんなに頭が良い人なんだから、そんなことを言ったら私が口ごもってしまうことくらい、分かったらいいのに。 本の中にはしおりが挟んである。小さいころ、公園でみつけたシロツメクサを、幸村くんが押し花にしてくれたものだ。花壇ばかり弄っている幸村くんに、公園のシロツメクサなんて、押し花なんて、いけないだろうか、と当時の私はびくついていたけれど、幸村くんは何でもない風に、つくってくれた。 くるっと茎が一周して、指輪のようだったので、とてもうれしかった。 「うれしいよ」 そのときの幸村くんは、確かそう言って笑った。 夢を見た。私はシロツメクサの冠をつけて、ふわふわと海の中を漂っていた。上手に息が出来ないなあ、と呑気に考え、それからどんどん沈んでいった。この冠を押し花にしてもらったらいいんじゃないか、そうも考えたけれど、どこにも幸村くんの姿は見当たらない。あまり精市に頼りすぎるな、と、以前柳に言われたことがあった。今の柳では考えられないので、付き合うよりももっとずっと前だ。それを思い出したので、私は幸村くんに頼ることをやめ、柳の姿を探す。やっぱりどこにもいない。 「やなぎ」 海の中なのに声が出た。けれど、息はできない。苦しいなあ、と思って、それでも嫌ではなかった。海の中は暖かく、光がさしていたので、誰もいなかったけれど安心できたのだ。 海の底が見える。どこからともなく差し込む光に照らされ、海底には白いチューリップがゆらゆらと揺られていた。その隣りには赤い郵便ポスト。 息は出来なかったけれど、安心できた。柳がすぐ傍にいるような気がした。 何だかはやく目が覚めて、気が付いたら、足が花壇に向かっていた。 早朝の学校には、熱心な部活動の生徒しか居らず、彼らは自分たちのスペースに固まっていたので、花壇のまわりや校舎のまわりには、人ひとりいなかった。もちろん、テニスコートにいるはずの幸村くんの姿は、花壇にない。 けれどそのかわり、普段そこでは見かけることのない人物が目に留まって、思わず息がつまった。 「柳?」 声を掛けると、チューリップの前にしゃがみ込んでいた柳はこちらに顔を向け、スッと姿勢よく立ち上がった。昨日と変わらず格好良くて、その立ち姿を見ているだけで、ドキドキしてくる。 いけないな、と思う。これじゃあ、またうまく喋れない。 「珍しいな、お前がこんな時間に登校するなんて」 「う、うん・・・何か目が覚めちゃって」 「昨日はあまり眠れなかったようだな、顔色が良くない。朝のHRまではまだ随分と時間がある。保健室で休んでいたらどうだ?」 「・・・うん」 ろくに、柳の顔も見れず。早朝の風に揺れるチューリップたちを、なんとなく見つめた。 彼女たちは、幸村くんに愛情をもらっている。綺麗に咲くことで、それを返している。幸村くんはそれが嬉しいと言っていた。 私は、どうやったら柳に返せるのだろう。 「」 ぼーっとチューリップを見つめていたら、思いのほか近くから声がした。いつの間にやら、柳がすぐ傍に立っている。チューリップにも触れたのだろうか、彼の指には微かに土がついていた。 「好きだよ。俺は、お前が」 どこかで聞いた言葉だ。おそるおそる視線を上げると、やっぱりすぐ傍にいる柳が、いつもと変わらず、柔らかく私を見つめている。 ドキドキ、ドキドキと。体温ばかりが上がっていく。 「・・・・・・とつぜん、なに」 私も柳が好き、そう言えたらどれだけ楽になるのだろう。 息の仕方を忘れている私を、柳は優しく見守ってくれる。それからフ、と、ためていたものを少しだけ吐き出すように笑って、そうしたら柳はどこか、リラックスしたように見えた。見た目には何も変化がないのに、なぜだかそう見える。 「保健室まで送らせてもらう」 「えっ、でも柳、」 「部活なら大丈夫だ」 ほら、とあたりまえのように手を取られ、人気のない校舎脇を二人で歩く。 ほんの少し前を歩く柳を見上げると、なぜだか私の知らない人のような気になって、慌てて隣に並び直した。 「幸村くんに怒られるよ」 「大丈夫だと言っただろう。精市は今朝からどこか上の空だ」 幸村くんでもそういうことがあるのか。手を引かれながら、まだ見た事がない上の空だという幸村くんを必死に思い浮かべようとしたけれど、うまく想像できなかった。 振り返ると、幸村くんに好きだと言われていたあの白いチューリップが、テニスコートの方角を向いているように思えた。 柳の手は暖かい。体温はそれほど高くないはずなのに、それでも暖かいのだ。その柳の手に触れられたところから、私はどんどんと熱くなってく。 早朝のにおいが残る廊下を進んでいると、柳がこちらを見下ろした気配があったので、私もおそるおそる顔を上げた。窓からちらちらと明かりが入って、柳の髪を照らした。 すると、ふと、海の中を思い出す。今朝の夢だ。 彼の顔をみたままぼーっとしていた私を訝しんだのか、それともやっぱり寝不足が深刻だと思ったのか、俄かに眉を寄せ、柳が顔を覗き込んできた。 「どうかしたのか」 「・・・今日、柳の夢をみたよ」 「俺の夢?」 そのせいで眠れなかったのか、とでも言いたげな顔をされてしまった。柳にしては、ハッキリと感情が表に出た。言葉には出ない。珍しかったので、もしかして傷付けてしまったのだろうかと、「いい夢だった」慌てて返答した。「そうか」短く返される。 ひとりは怖かったけれど、安心できる夢だった。息は上手にできなかったけれど、あれはたしかに、しあわせな夢だったのだ。 ドキドキ、ドキドキ。 再び心臓が暴れはじめる。隣りに柳がいることを、認識してしまう。 「やなぎ」 私はもう一度柳を呼んだ。彼はジッとこちらを見ている。 「どうして柳や幸村くんは、好きだって言えるの?」 幸村くんは花を愛でている。ひとつひとつ、大切に扱って、見返りなんて求めていない。ただ純粋に、愛情をそそいでいる。 私は柳に大切にされている。好きだと言ってもらえて、かわいいと言われて、それでも何も返せない私に嫌な顔ひとつ見せないで、むしろ私の言葉も待たずに他の話をして。 一方的に傾ける愛情は、どういうものなのか、わからない。 柳は暫く私を見つめていたけれど、フ、と笑って、やっぱり自分の血液型でも言うみたいに、 「お前が好きだからだよ」 と答えた。もう、何度聞いただろう。 自分からけしかけたくせに恥ずかしくなって何も返せないでいると、柳は静かな口調で続ける。 「お前のことが好きだと思ったら、つい言葉にしてしまう。伝えないと気が済まないんだろうな。申し訳ないが、理論的な理由を求められても答えかねる。俺にも分からないのだから。大した理由など、ないのかもしれない」 「例えば呼吸をするように自然に、俺はお前のことが好きだと思うよ。だから、自然と言ってしまう。迷惑なら言わないよう努める。しかし、見たところ、嫌ではないようにみえるのだが・・・これは俺の思い違いか?」 珍しく饒舌な柳。珍しく自分の意見に自信を持ち切れていない柳。それをさせているのは私だ。息を思い切り吸い込んで、はく。落ち着くどころか、体中の血液がめぐりめぐって、さらに体温が上がった気がした。 柳のことは好きだ、とても、すごく、たくさん。それでも、 「・・・そんなことない」 結局、私はこれだった。柳に言いたいことがあるのにぜんぜん言えなくて、口を開けばかわいくないことばかり言ってしまって、それでも柳が好きで、離れたくないと思う。 息を詰める私とは対照的に、柳はまた息をはきだすように、穏やかに笑った。 「ありがとう」 私は必死に深呼吸をしてみたけれど、上手な息の仕方を忘れてしまったらしく、胸は苦しいままだった。柳が好き、という気持ちばかり高まって、溢れて、胸いっぱいになって、このまま破裂してしまいそうだ。 強く手を握る。今度はひとりぼっちで海に落ちないように。 |