月曜は教室で待っていると言い出したのはの方だった。休みが月2回、その2回の休みも自主練に費やす我が立海大テニス部には、空いている曜日が全体ミーティングのみの月曜しかない。付き合い始めた頃その旨はきちんと伝えたはずであるし、も了承して、それから「月曜のミーティングが終わったら一緒に帰りたいな、待っててもいい?」などと言ったのだ。本来なら月2回の自主練と同じく、全体ミーティングのみと言ってもそのまま帰る部員はごく少数だ。部長の俺が直帰するなどあってはならない。けれど自分がテニス部部長であることでにいくつか我慢させていることは知っていたので、それくらいならばと、こちらも了承したのだ。

「一応センターにも問い合わせてみたけど、君からのメールはなかったよ」

おはようの挨拶もそこそこに言えば、呑気に数学の教科書を借りにやってきたはビクリと肩を震わせた。罪悪感でもあるのか随分と弱気な表情だったけれど、目はまっすぐ俺から外そうとしない。彼女の癖だった。人と話すときはきちんと目を合わせる、そういう子だ。

「ごめんなさい・・・お腹が痛くて、携帯も忘れて」
「昼には柳とメールをしていたよね?」
「えっ」
「昨日はたまたま一緒に食べていたんだ」

そこまで怒ってはいないのに、はすっかりビクビクとしている。俺は怯えてほしいわけでもそういう顔が見たいわけでもなくて、ただ純粋に、昨日がさっさと先に帰った理由が知りたいだけなのに。
向こうが視線を外そうとしないので俺もじっとの目を見つめていたけれど、不意にもうどうでもよくなって、「数学だったよね」机から数学の教科書を取り出した。言いたくないのなら別に良い。

「三限には使うから」
「わかった、ありがとう」

昨日約束をすっぽかして、その翌日の朝すぐ俺のところへ来るのには、勇気が必要だったはずだ。呑気そうに見えたけれど。それでも俺のところに来てくれたのなら、別に良い。わざわざ遠いC組まで、俺に怒られにきたわけじゃないだろうから。

「今日は雨も降っているし、はやく終わると思う」

気にしていないよ、ということを明確にするため、俺にしては珍しく歩み寄ってやった。暗に昨日のことは良いから今日は一緒に帰りましょうと言ったはずなのに、は「え」と短く口の中だけで言うと、

「そ、そうなんだ」

とぎこちない笑みを返し、それから「じゃあまた、すぐ返しに来るから」と言って教室を出て行ってしまった。せっかく俺が歩み寄っても、ぽつんと残されてしまう。さすがに俺もおもしろくない。













「ずいぶんと覇気がないのう」

室内での基礎練の指示を出し終え、それを窓際の壁に寄り掛かり眺めていると、不意に声を掛けられた。口元を緩ませ、仁王は随分と上機嫌らしい。彼は人のこういうところを見ると、嬉々として寄ってくる癖があった。

「そうかな、そうでもないよ」
「うちの部長さんは分かりづらいが、詐欺師をなめられたら困るナリ」
「仁王は今日も元気そうで何よりだ」
「やることもたくさんあるからの」

仁王はそういうと一瞬手塚になり、眼鏡をクイとあげるそぶりを見せてから、再び仁王にもどった。「相談なら聞かんが」何か言う前に言われてしまったので、思わず小さく笑う。今日は風があるのか、ぽつぽつと窓に雨が当たる音がする。これは本当に、早めに解散させないと部員たちが風邪を引くかもしれない。自己管理がなっていないからだと、真田の鉄拳が落ちるのも時間の問題に思えた。

「相談なんか無いよ。覇気がないわけでもない。ただ少し、腹が立ってね」
「おうおう、幸村を怒らせる奴なんぞおるんけ。どうなっても知らんぜよ」
「・・・お前楽しんでないか?」
「ピヨ」

バツが悪そうに壁から離れると、ようやく基礎練に混ざる気になったのか、柳生の元へペタペタと歩きはじめる。練習が面倒なのかただの気まぐれなのかは分からないが、それでも俺を気にかけてくれたというのに、あまりにも素っ気なかっただろうか。「仁王」丸まった背中に声を掛けると、彼はふとこちらを見て、

「昨日は悪かったの、連絡もせずを借りて」

というのだった。

「・・・は?」













今日の幸村部長、特別怖かったッスよ。と言ったのは赤也だ。部活が終わり携帯を開くと、「部活お疲れさまです、先に帰ってます」というメールがから入っていたので、こうして赤也と一緒に帰っている。他の部員は若干名をのぞき基礎練を続けるようで、赤也は素直に帰って良いのか尋ねると、彼はぐしゃぐしゃと頭を掻き毟った。

「明日小テストあるんすよ、柳さんに死ぬほどしごかれたから、ぜってー良い点数とんねぇと」
「ふうん。それじゃあ良い点数が取れたら、俺と試合をしようか?」

そう言えば、このかわいらしい後輩がやる気を出してくれることなど知っている。「マジっすか!?いい点数とって、部長もぶっ倒してやりますよ!」目を輝かせながら意気揚々と言ってくれるので、俺も明日が楽しみになった。あまり良い点数でなくとも、相手くらいしてやっても良いかもしれない。

「それにしても、なんで今日あんなに機嫌悪かったんスか?」
「赤也も今日は機嫌がよくなかったように見えたけど」
「あれは真田副部長がちょっとの遅刻くらいでビンタするから」

ぷりぷりと怒ってから、自分の質問に答えてもらえていないことに気が付いたのか、はたと俺の方をみる。まっすぐ人の目を見てくるところは、そっくりだ。まだ会わせたことはないけれど、赤也とは気が合いそうだな、と思ってから、やっぱり会わせるのはやめようという結論に達する。赤也はそんな俺をしばらく見つめてから、ふいと視線を前に戻し、「雨、うざったいっすね」と小さく零した。

「俺は嫌いじゃないけど、外で部活が出来ないのは困るな」
「ドーカンっす」













今日も呑気にはやってくる。今度はなにを忘れたのかと思いきや「ノート見せてほしくて」らしい。随分と図太いな、とは思いつつ、他にもっと綺麗にノートを取るやつもいるだろうに、わざわざ俺のところへやってきたことがほんの少し嬉しくて、俺は何も言わず貸してしまう。と付き合っていて、本当に好きなのかと周りに聞かれることが本人含めよくあった。意味が分からない。こんなに俺は彼女には甘いのに。

「数学と理科?数学はともかく、理科は得意じゃなかった?」
「うん、私は得意なんだけど、丸井くんが苦手だから」

唐突に良く知ったチームメイトの名前が出てくるので、ノートを差し出した状態のまま数秒固まった。C組から遠いクラスのはもちろんB組とも接点がない。仁王と知り合いだったことすら、昨日の仁王の発言で知ったほどだ。他の部員とも交流があるだなんて知らなかった。今まであまり会わせないようにしていたのに。

「勉強会でもするつもり?」
「するつもり。幸村くんのノート、わかりやすくて好きなんだ」
「・・・ねえ、お前昨日と一昨日はなにしてたの」

どうでも良かったし聞くつもりはなかったけれど、仁王があんなことを言うから嫌でも気になってしまう。それとなく自然な声色で尋ねてみるものの、俺が怒っていると思ったのかは再びビクリと肩を震わせた。まあ、腹は立っているけど。

「なにって、特に何も。お腹いたくて」
「それは昨日も聞いたよ」
「昨日言ったとおりだよ」

じわじわとの頬が赤く染まっていく。目だけは逸らさず、まっすぐ俺の方を見て。何だか意味が分からない。怒る気も、言い聞かせる気もない。視線を外して溜息をつくと、の肩がもう一度反応する。悪態をつきたかったけれど、何も俺は彼女を怯えさせたいわけじゃない。

「ルーズリーフだし、返すのはいつでもいいから」

いろいろ考えた結果、やっぱり放っておくことにした。これ以上にも感けていられないのだ。俺はテニス部の部長だし、今日も部活がある。皆より遅れている分、訳の分からない恋人と遊んでいる暇などないのだから。