ご機嫌だったのだ。最初から。

「今日はもう遅い。それを食べ終えたら、家まで送るとしよう」

別に組み敷かれるためにここに来てるんじゃない。
触れ合ったりじゃれ合ったり舐め合ったりすることが目的じゃない。
中尉がわたしを部屋に招く理由のなかにそんなことがあるとはとてもじゃないけど思えないのに、でもだからこそわたしが中尉の隣にいられる理由に恋愛感情を掲げることができないのは紛れもなく中尉のせいなのだとわたしは声を大にして言いたい。

「有名店の新作だと聞いたんだが・・・お味はいかがかな?」

口の中に広がるマロンクリームの甘さに浸る余裕もなかった。
側面が抉られたマロンクリームの山の頂上を陣取る栗は金粉をまとってさっきまでキラキラと輝いて見えたのに、今ではどこかくすんで見える。
たった一口食べただけでフォークを置いてしまうなんてこのモンブランに失礼だ。わかっているのに、中尉があんなことを言うからいけない。

「・・・どうした?口に合わなかったか?」

だから、ご機嫌だったのだ。最初から。

さっきまでは。








中尉がどんなひとなのか、わかってるつもりだ。
言わずと知れた最新鋭モビルスーツ、フラッグを操るトップファイターでカタギリ技術顧問のご友人。MSWAD基地所属。乙女座。何事にも真剣で、一直線で、前向きで、一度決めたことを覆すことが犯罪みたいに思えてくるくらい自分の意思に従順で、頑ななくせに意外と柔軟で、厳しいくせにすごく優しい。そんなひと。そんなひとのことを、実際わたしはどこまでわかっているのだろうか。所詮はやっぱり”つもり”なのだ。

そう考えると途端に自分がみじめに思えてくる。わたしよりもずっと中尉と付き合いの長い技術顧問の方がきっともっともっと中尉のことをわかっているに違いない、なんて劣等感を感じてしまうのはお門違いだってわかっているのに、中尉がカレッジにいた頃どんな人とお付き合いしてたのかな、なんて過ぎたことに不安を抱くなんて馬鹿みたいだってこともわかっているのに。

「中尉はわたしのこと、何だと思ってますか」

一度考え出したら止まらないのは中尉に似たのかそれともわたしの性格なのか。そんなことはどっちだっていいけれど、ぽつりと生まれた不安は雪だるま式にどんどん大きく膨らんでいく。
どんな答えが返ってきても融解しきれないくらい。

「なんて答えたら、君を喜ばせることができる?」

そもそも、わたしの心の中が見えているみたいな言い方を中尉がするからややこしい話になるのだ。

「・・・そんなこともわからないんですか?」

不機嫌を前面に押し出したわたしはちっとも可愛くないんだろうな、なんてわかりきったことを感じながらもそうならざるを得ないのは中尉がどこか楽しそうに見えるから。
子供のように喧嘩を吹っ掛けるわたしが可笑しいのだろう。だったら初めから喧嘩なんてしなければいいのに、不機嫌のスパイラルから抜け出すためには何とかして中尉を言いくるめなければ気が済まないわたしはとても子供染みてる。

「これは手厳しいな」
「そうやっていつもはぐらかしてばっかり」
「心外だな。これでも人一倍真剣に向き合っているつもりなんだが・・・君の目にはそう映っていないか?」
「映ってませんね」
「いつになく強情だな。そんな君も悪くない」

中尉は微笑む。無邪気に笑う。いつもと同じ。整った顔。ずるい。ここまで言われて、どうして。
だから嫌なのだ。そうやって余裕綽々みたいな顔して、女の扱いなんて慣れてるって、わたしの機嫌とるなんて簡単だって、誤魔化してはぐらかして適当にあしらってれば折れるって、どうせわたしの方が好きなんだから、って、そんな表情。

被害妄想だってことくらい自覚してるのに、だって、中尉は、ずるい。

「そうやって子供扱いしないでください」

子供扱いしないで、なんて言ったらまるで子供みたいだから絶対に言いたくなかったのに、良くも悪くも言葉にしなければ伝わらないわたしの想いはだんだんと不機嫌と不安がぐちゃぐちゃに混ざった不純物のかたまりみたいなものに変わってその行く末は中尉目がけて飛んでいくしか道はない。

「・・・わたしは、中尉の何なんですか」








プロポーズみたい。思わず赤面してしまうような言葉をわたしの前に並べた中尉の瞳はとても真っ直ぐできれいだったのを今でも覚えてる。恥ずかしがる理由なんてきっと中尉にはわからないのだろう。自信に満ちた中尉を前に、わたしはただただ頷くことしかできなかった。それが中尉とわたしの始まり。



そのときと同じ。真っ直ぐわたしに視線を注ぐ中尉の目からはやっぱり逃げることができない。
中尉に名前を呼ばれるのは未だにどこかくすぐったく感じる。
軍で会うときとも、こういう関係になる前とも違う。中尉に名前を呼ばれると、わたしの中に居座る不純物のかたまりが少しずつ融解していくような気がした。

「君は今、どこで何をしている?」
「どこで何をって・・・」
「どこで、何をしている?」
「・・・中尉の部屋で、ケーキをいただいてるだけですけど」

中尉の中にも、不安とか嫉妬心とか、そういうものが生まれることがあるのだろうか。わたしのことに関してという条件が付いた時点でその可能性は限りなくゼロに近い気がする。

「私は」

だけどゼロとは言い切れないのだ。
事実今、中尉の瞳に珍しい色が滲んだのだ。たった一瞬だったけれど、わたしの中にある色と同じ。

「私は今、自室で恋人との逢瀬を楽しんでいるところだよ」

すぐにいつもの表情に戻った中尉を見ると、さっきの色はわたしの思い違いなんじゃないかと錯覚してしまう。
微笑む中尉とその言葉にわたしの中の不純物は完全に融解してそれどころかふつふつと熱が沸いてくる。顔が熱い。熱で頬が緩んでしまわないように、わたしは唇一文字に結んだ。なんて返事をしよう、と考える間もなく中尉が言葉を継ぐ。

「だが君は中尉・・・すなわち上官の部屋で食事をしているだけと言った」

いつも中尉に子供扱いされるのが嫌だった。
喧嘩したって折れるのはいつも中尉のほう。もっとも中尉は喧嘩してるつもりもないのだろう。手のつけられなくなったわたしの頭を撫でて宥める、まるで子供をあやすみたいに。
一方的に感情をぶつけるだけの自分に嫌気がさすくらい。もう少し大人になれたら中尉もわたしのこと女として見てくれるのかな、なんてくだらない妄想してたくらい。

だからまさか中尉にこんなことを言われるとは全然思ってなかったのだ。
こんな鋭い眼で中尉がわたしを見るなんて、想像すらできなかったのに。

「私は、君の何なんだ?」








”別に組み敷くために呼んだんじゃない”
”触れ合ったりじゃれ合ったり舐め合ったりすることだけが目的じゃない”
”私が君を部屋に招く理由のなかにそんなものがあるわけがないよ”、なんて言われたことは今まで一度だってない。だったらわたしが中尉の隣にいられる理由に恋愛感情を掲げることができないのは誰のせい?

「我ながら大人げないことを口走ってしまったようだ。すまない」

いつの間にか滲んでいた涙を拭うように中尉の指がわたしの瞼をそっとなぞった。

「こうして二人で過ごす間ぐらいは、私を一人の男として見て欲しいのだよ




子供扱い?
大人げない?
部下?
上官?
恋人?
不安なのはどっち?
嫉妬心を燃やしてるのは誰?
わたし?

それとも、中尉?




くだらない被害妄想に今さら自己嫌悪したってもう遅い。

「・・・中尉、わたし」
「グラハム・エーカー」

わたしの言葉を遮って彼はその名を口にした。
その意図に気付いてしまって動揺を隠せないわたしはやっぱり子供なのか、それとも彼が大人げないのか。そんなこともうどっちだっていい。

「恋人の名をお忘れかな?」

困ったように首を傾げる彼がなんだかとても可愛らしくて、ひときわ大きく脈打つ心臓と身体中を駆け巡る熱をわたしは止めることができなくて、見つめあう彼が零した笑顔に不意打ちだ、なんて、顔をそむける暇も彼の両腕から逃げる余裕も、そもそも理由がないのだから仕方がない。


いじわるワルツ