四年ぶりに再会した軍人時代の上官は、仰々しい仮面を端麗な顔に携えていた。





「あのう、グラハムさん・・・」

そう呼んで良いのかどうかを直接彼に確認したわけではなかったけれど、軍人時代のように”エーカー上級大尉”なんていう堅苦しい呼び名で彼を呼ぶことには気が引けたし、四年前の数ヶ月間のようにその名を呼び捨てにすることなどわたしにはできなかった。
彼と再会してから一ヶ月弱、わたしは未だに彼の仮面に慣れない。

「どうした」

目元を覆う冷たい仮面が、柔らかい金色を帯びた髪の隙間から覗く度にわたしは条件反射のように一瞬身体を強張らせ、ごくんと喉を鳴らしてしまう。たった一度だけ見た、その仮面の下にしっかりと縫い付けられた傷跡を思い出してしまうせいかもしれない。
我がもの顔で彼の顔に居座るそれに彼自身もすっかり馴染んでいるようで、本人が気に掛ける様子は全くなく、「残念だが君にしてやれることは何もない」尋ねてもいない質問に見当違いの答を返すところは四年前の彼と何ら変わったところはない。そんな彼の言葉でわたしの無意味な緊張は一瞬にしてほどけ、しかし同時に首を傾げることになる。

彼の言葉の意味するところを瞬時に理解できないのは、何もわたしだけのせいというわけではきっとない。こういうことは昔もよくあった。見当違いの返答、噛み合わない会話、一方的なモノローグ。けれどこの彼の満足そうな表情を見る限り、おそらく彼としては的を射て当を得た返答だと自負しているのだろう。そのくせ本当にどこか残念そうに眉をハの字にしているのだから余計にタチが悪い。挙句誇らしげに口角を上げた彼の言葉に、覆すような返事などできるはずもないわたしは小さく首を傾げるだけにとどめておくことにしたのだ。

「台所は男が立つものではないだろう?」

傾げた首の意味するところをわかってくれたのは良かったけれど、やはりはっきりといわなければ最後までわかってはもらえないみたいだ。
碧色の目をした彼の口から”台所”などという言葉が出てきたことに違和感を覚えながらも、そういえば彼の言葉ひとつひとつが昔とは違った方向に形式的になっているような気がしていたことを思い出す。

「いえ、そういうことではなく・・・」

呆気に取られそうになるのをなんとか振り切って、厳つい仮面から覗く優しい瞳を見つめながら続きを口にした。

「やっぱり夕食は外へ食べに行きませんか?」

まさか”君の手料理が食べたい”なんていうセリフじみたセリフを本当に言われることになろうとは夢にも思っていなかった。けれど相手が彼というだけでそれがいかにも自然なセリフであるように感じてしまうのはきっと気のせいなんかじゃない。
だから何も考えず二つ返事で引き受けてしまったのだ。十数分前のおろかな自分をこんなにも悔やんだことはない。口を開けばその気にされるようなセリフばかり飛び出てくるところは相変わらずだ。

「知っているだろう、私は好き嫌いなどしない」

どうしてこういつもいつも会話が噛み合わないのだろう。懐かしく思う間もなくそれがこの一ヶ月の間で日常茶飯事のものとなったのは言うまでもない。本当に、変わっていない。声だけを聞けばそうとしか思えないのに、彼の仮面がちらつくたびに小さな影を捉えてしまう。彼のどこかに潜む、黒檀の色をした影を。





四年前、彼はわたしに別れを告げた。それがちょうど最後の―――彼が消息を絶つことになった―――あの戦いに赴く直前であったことを知るのは随分と後のことになる。その四年間を彼がどのように過ごしていたかをわたしはあまりよく知らない。聞かされてもいなければ尋ねることもできず、けれどそれでも構わないとわたしは思う。

彼が生きて此処にいるのだ、それ以上にわたしが望むことは何もない。





「知ってると思いますけど、わたしは料理があまり得意では」
「百も承知二百も合点」
「・・・・・・ならどうして」

わたしの言葉を遮ってまで自信満々に頷く彼にほんの少しだけ感じてしまった怒りに似た感情はその後すぐに、彼の言葉よって掻き消されることになる。

「二度は言わん」

例えば彼が「白」と言えばカラスだって白なのだ。
真っ直ぐに注がれる視線がきらきらと輝いていているのを見れば、首を縦に振る以外にできることは何もない。立ち討ちできるはずがないのだ。彼の意思を捻じ曲げることなど神様にだってできはしない。
悔し紛れに小さく溜息をひとつ落として、キッチン―――いや、台所へと踵を返す。

「案ずるな。米の一粒も残しはしない」
「でもおいしくないってわかってるのに」
「据え膳食わぬは、と言うだろう?」

くるり、と、振り返ってしまったことは言うまでもない。そんな言葉、一体どこで覚えてきたのだろう。思いながら、ぶつかった視線の先にある彼の碧色がおそろしいほど誇らしげに輝いているのをわたしはまじまじと見つめてみる。陰ることを忘れた瞳も、鬱陶しいくらいの自信も、聞き慣れない言葉遣いもすべて、彼なのだ。

「・・・それ、意味間違ってます」

あの黒檀の影さえも。


其の士道、


「しからば君に本当の意味とやらをご教授願いたい」
「・・・はい?」
「出来ない・・・とは言わせない」

不敵な笑みを浮かべた彼を見てようやく気付く。わかっていながら彼はあんなことを言ったのだ。計算も駆け引きも彼にはちっとも似合わないのに、仮面に覆われていてもわかるほど優しく微笑みながらじわりじわりと近づいてくる彼を拒絶することなんてとてもじゃないけれどわたしにはできない。

「口説かれる準備は出来ている」

彼の碧色をした瞳の中心に、小さくわたしの姿がたゆたう。
あまりに真っ直ぐなそれを、あまりに輝くそれを、わたしはときどき直視できない。
彼はどう思っているのだろう。端麗な顔に張り付くそれを軍人の勲章と誇っているのか、それとも生き長らえたことを恥じているのか、もちろん後者に決まっているとわたしは思う。だからこそそれを隠すように、彼は仮面を外さない。
思うのだ。何よりも痛々しく感じるのは彼の右目を取り巻く傷跡なんかじゃない。それを覆い隠す、彼に馴染むことのない仮面の方だ。それを見るたび、どうしても彼を哀れに感じてしまう。じんわりと胸が熱を帯びてゆき、ひどく感傷的な気持ちに意識の端から侵されてゆく。

「―――否、その為に私は此処にいる」

本当は、そんな風に彼のことをわたしは見たくなんてないのだ。胸が熱くなるたびに、わたしは自分自身の感情のすべてを押し殺してしまいたくなる。一方的なシンパシーで鼻先がツンとする前に彼の右手を取り、わたしはゆっくりと瞼を閉じた。






伝う体温と溢れ出す熱にわたしは彼の夢を見る。
唇と唇が触れ合う直前、ひどく温かい彼の吐息でわたしの意識は現実に還る。
唇と唇が触れ合う瞬間、ひどく冷たい彼の仮面にわたしは刹那の幻を見る。



不覚悟に尽き。
奇しくもこの世界は、一方向にしか流れてくれない。
過去へと戻ることは出来ない。未来へと進むことしか出来ない。
ならば、思うことはただ一つ。

どうかこのまま、この人と。