足りない、と思った。アレルヤが足りない。
私は弄っていた携帯端末の電源を切り、静かに息を吐き出した。当の本人はすぐ後ろにいる。すぐ後ろで、同じように、端末を弄っている。今回はミッションプランが少しだけ長かった。普段から文章を読むことに慣れている私とは違い、アレルヤは目を通すのに少し時間がかかる。ミッションプランなんて、一緒に見れば良いものを。声に出して確認したって良い。何が楽しくて、お互い背を向け合い黙々と端末弄りに勤しんでいるのか。倦怠期カップルのようだ、そう思い、何だか良い得て妙だと思った。良い得て妙どころか全くもってそのとおりだ。少し修正をくわえるのなら、アレルヤは付き合い始めた当初からこのテンションのままだった、というところか。

アレルヤはいつも優しくて温厚で平和を望んでいて波風立てずただひっそりと緩やかに生活している。そのアレルヤの緩やかな流れの中に私はいて、時折思い出したように私はアレルヤに愛される。否、常に愛されている自覚はある。何せ私を見るときのアレルヤの目と言ったら、それだけで戦争根絶が望めそうなほど柔らかなものだからだ。

「おこちゃまなんだよ、アレルヤは。笑えねぇだろ?自分より後に生まれたこの俺にそんなこと言われるんだからな」というのはハレルヤの言葉だ。
彼曰くのおこちゃまなアレルヤには、ハレルヤのような激しさがない。私はハレルヤという人格を一度しか見たことがないから分からないけれど、きっと彼が誰か女性を愛したとき、それはそれは激しい熱情を持って貪るように愛するのだろう、と私は思っている。アレルヤは自分の事を大人だと言い、ハレルヤは自分の事を子どもだと言った。なるほど、アレルヤはおこちゃまなのだろう。自分の物差しで物事を計る人間は、どうしたって視野が狭くなる。自分の考えで全てを終わらせるから、結局のところ、自分が一番大事になってしまう。おこちゃまなアレルヤは、子どものように気まぐれに、私を相手にする。本人にその自覚がないどころか妙に大人ぶっているので、一見それに気付かないところが、厄介だ。

「ソレスタルビーイングにこんな穏やかな青年がいるなんざ、世間も思ってねぇだろうな」というのはロックオン・ストラトスの言葉だ。
彼曰くの穏やかなアレルヤには、ロックオンのような優しさがない。アレルヤだって十分優しいけれど、ロックオンほど自分を犠牲にしたりはしない。ロックオンの優しさはいささか体当たり過ぎる、そんなことを以前アレルヤが口にしていた。誰かに優しくする余裕なんて持てないほど過酷な場所で育ったアレルヤは、何だかんだ周りに優しく接していても、最終的に、自分に一番優しいのだ。

「アレルヤ・ハプティズムはガンダムマイスターに相応しくない。ガンダムマイスターである自覚、覚悟、信念が彼には見当たらない」というのはティエリア・アーデの言葉だ。
彼曰くのガンダムマイスターに相応しくないアレルヤには、ティエリアのような確固たる意思がない。自覚、覚悟、信念・・・その類のものだ。ガンダムマイスターの中でアレルヤだけが、戦争根絶に執着していない。在るべき場所に落ち着いた場所が、たまたまソレスタルビーイングだっただけだ。アレルヤは常に私を守ろうとしてくれている。けれど、それだってたまに揺らぐ。どうしようもない場面に直撃したとき、恐らくアレルヤは私を手放すのだろう。そう思う。彼には確固たる意思がないからだ。

私は、刹那がアレルヤについて何かを言っているところを見たことがない。彼は自分に自信があり、その他のことはどうでも良いと考えているからだ。
アレルヤには刹那のような自信がない。だから自分を愛せない。他人も愛せない。自分はいつ死んでも良いと考えている。自分が生きていることで他の誰かに迷惑がかかるのなら、別段死んだって構わないのだと考えている。実際その瞬間になれば、彼は生を望むのだろうけれど。そのためにハレルヤがいるのだ。


・・・何も、私は、アレルヤのことを頭の中で口悪く罵るためにこんなことを考えているのではない。私は昔から、それこそ初めて彼を見たときから、彼のことが好きで好きで仕方が無くてどうしたらアレルヤが幸せになってくれるのだろう、と思っている。アレルヤは何だかんだで自己中心的だから、自分がコレと思ったことは勝手にやってしまう節があるけれど、けれど肝心なところで彼は奥手だった。だから幸せになれない。アレルヤが幸せじゃないと私も幸せじゃないのに。
世界は歪んでいる。私だって歪んでいるし、アレルヤも、歪んでいる。この時代のこの世界で歪んでいないものの方が歪なのだ。
足りない、と思った。アレルヤが足りない。

別段、貪るように激しく愛せだの、自分を犠牲にしてまで優しくしろだの、異常なまでの意思で私を守れだの、自信満々に愛を貫き通せだの、そんなことは望んでいない。アレルヤはアレルヤで良い。アレルヤが良い。
アレルヤに愛されたい。



ふと、アレルヤの穏やかな声が聞こえたので振り返る。ようやく読み終えたのだろうか、彼は端末から顔を上げ、私を見つめる。長い間立ちっぱなしだったから足の裏が痛いと思ったけれど、私もアレルヤも座ろうとはしない。何故だかは分からない。薄暗い部屋の中で二人、少し距離を開けて立っている。

「さっきから難しい顔をしていたようだけれど」
「難しいことを考えていたから」
「どんなことだい?」
「アレルヤのこと」

苦い顔をされた。「それはとても難しいことだね」アレルヤは呟くと端末を机の上に置き、長い足でこちらに歩み寄ると少し屈んで視線を合わせる。背の高いアレルヤが、こうして私の目線まで屈むのは、私のことを心配しているときの癖だ。それを私は、最近ようやく理解した。

「けどね・・・折角僕のことを考えていてくれるんだったら、笑っていて欲しいな」
「それはとても難しいことね」
「どうして」
「アレルヤが足りないの」

パチリ、一度瞬きをしてから、アレルヤは隻眼を細め微笑む。いとおしむような目だ。吸い込まれるように見つめれば、そのままアレルヤの顔が近づいてきたので、静かに目を閉じた。

掠めるだけ、一瞬だけの、軽いキス。
アレルヤのキスは優しい。優しいのに、熱くて、自分の唇が何か他のものになってしまったのではないかと思ってしまう。アレルヤの唇が私の唇に触れている瞬間だけ、私は何も考えられなくなる。アレルヤが足りないと思っていたことも、熱情も自己犠牲も意思も自信も、全て頭から消える。
そして・・・そして、アレルヤはそのことを全て分かっている。私が難しいアレルヤのことを考えて考えてよく分からなくなってしまうことも、アレルヤが足りないと思っていることも、本当はこんなこと、考えたくはないのだということも。

私は何を考えていたんだったか・・・アレルヤ・・・それから、なんだったっけ・・・?戦争根絶?世界平和?なにも思い出せな い。

「・・・もう一回」

離れた唇を見つめながら思わず呟く。視界いっぱいに広がるアレルヤの表情が緩んだ気がした。近すぎてよく見えない。アレルヤは私の頬に触れ、軽く撫でてから、もう一度顔を近づけた。

、好きだよ」
「うん」

私も好き。その言葉は彼の唇に飲み込まれる。私は彼の唇とその唇から零れる好きだという言葉さえあれば、あっという間に満たされる。女なんて簡単な生き物だ。

たっぷり五秒。私たちは世界から切り離される。






満潮
ゆ り か ご


彼を守るもの関わるもの全てが重なり、丁寧に編まれ、ひとつのゆりかごになる。
ならば私はやわらかな毛布になって、あなたを優しく包みたい。




は実に愚かだよ。けど、だからこそ僕はを守りたくなる。ねえ、僕だって、が足りないんだ」と、アレルヤ・ハプティズムは囁いた。